日本の住宅政策
日本の住宅政策(1950年から2006年まで)
2006年6月住生活基本法が施行されて、新しい住宅政策が始まりました。何故、住生活基本法が必要になったのでしょうか。この法律の準備として、社会資本整備審議会が答申を出しています。その中で、何故これまでの住宅政策の基本となってきた住宅建設計画法が不要になったかということは書いてありません。住宅建設計画法による住宅政策は、居住水準の向上ということで国民に大きな成果を上げてきたと答申の中で評価しています。
本音は答申の中に書いてありません。本当のことは、住宅金融公庫、都市整備公団、地方公共団体という公共住宅事業主体が破綻して、公営住宅、公団住宅、公社住宅の供給を継続できなくなったということです。住宅建設計画法による住宅政策がよいか、悪いかと言う前に、これらの3制度自体が財政的に維持できなくなったということです。
この総括ができないために、過去の政策はよかったが、社会経済環境の変化に対応するため、政策転換が必要になったという総括になっているのです。一体、住宅建設計画法による政策の本音の評価は、どのようになっているのか、ということには、政府も住宅産業界も何も答えていません。
最も分りやすい評価は、日本の住宅を手にいれた人は、それによって家計支出の上で住宅以外の家計費支出を大きく圧迫されただけではなく、住宅を保有することによって、資産を失ってきました。日本全体で平均で年間3%の割合で、資産を失っています。アメリカでは、年間平均で6.5%で資産価値は高まっています。国民の住宅ローン負担も、所得の25%以下になっています。
日本全体で5000万戸の住宅があります。一戸2,000万円と仮定すると、全体で1,000兆円の住宅資産になります。日本では、毎年120万戸に住宅とリモデリングによって30兆円くらいの住宅投資がやられています。しかし、それと同額の住宅資産価値が毎年失われています。もしアメリカのような住宅建設がやられていたら、毎年65兆円以上の資産が増えることになります。その大きさは、国家の税収の1.5倍くらいになります。
国民が住宅を持つことによって、経済的には貧しくなっているだけではなく、平均26年ごとに建替えて、スクラップアンドビルドによるフローとしての住宅投資は大きくなっていますが、ストックとしての住宅資産は増大してはいません。政府は、GDPを最大にする経済政策を進めてきました。住宅を償却資産と扱う世界でも例を見ない不当な扱いによって、建替え事業を正当化してきた住宅政策が、住宅建設計画法による居住水準向上を目的とする住宅政策であったわけです。
住宅建設計画法(1966−2006)の前の、一世帯一住宅(住宅難世帯の解消)時代の住宅政策は、1950年GHQによる日本国憲法第25条(健康で文化的な生活)と第29条(財産権)の保証を、国民の住宅費負担と、住宅の資産価値増殖制度として提案されたものに基づいて実行する政策でした。GHQの提案はアメリカの1929年の世界恐恐に対して、アメリカが立ち直ったときの住宅政策の経験を日本に持ち込んだものでした。それは、主権者としての国民を救うことに重点を置いていました。
ニューデイル政策と呼ばれるケインズ経済学を世界で始めて実践したもので、TVA(テネシイバレーオーソリテイ)事業として日本では知られていますが、アメリカの経済では、住宅政策ということで知られています。FHAによって銀行の住宅ローンの担保であるモーゲージの債務負担を政府が行なうというものでした。この制度がその後のアメリカの住宅産業の隆盛の元になったとされています。
GHQは、その制度を住宅金融公庫の中心にしました。又、住宅の資産を増殖するシステムとしては、建築基準法第4章建築協定として、制度化されました。又、建築基準法ではモーゲージを前提にして、検査済証の交付を前提にして、使用許可とモーゲージの設定、保存登記をさせるという制度ができていました。1951年から始まった公営住宅制度では憲法25条に照らして、賃貸住宅の家賃負担は、家計支出の20%に収まるように、10坪の木造住宅の国庫補助金を除いた地方負担を6%の元利均等償還で計算したとき、償還期間を20年にする割きりを、新海悟郎の越冬住宅の研究成果から大蔵省がつまみぐいしたものでした。
家賃を同じ額にするためにコンクリートブロックに平屋と2階を、簡易耐火構造平屋建て、簡易耐火構造2階建てとして、それぞれ償還期間を35年と45年にし、鉄筋コンクリート造は70年にしました。いずれも支払い額の上限が最初に決められていたため償却期間で調整したのでした。最初は土地代も償却対象にしていました。何故なら、単に家賃を決めるための便法として焼却という考えを入れたためだったからです。
このように、日本の住宅政策は最初はGHQの指導にしたがって、主権在民の考えで取り組まれましたが、やがて経済成長によって所得が上昇したため、家計支出として支払うことが無理でも、やがて支払えることになるという安易なやり方で、物としての住宅を大きくすることでよい住宅を建設することの重点が置かれましたが、実際所得が上昇したため、矛盾が表に出ないで住宅政策を進めることができたわけです。
住宅公団については所得の25%の住宅費負担とするため、4.1%の特別金利が採用され、不足分は公団に対する政府の出資で補填することがやられました。住宅費負担については、初めは憲法25条の思想で運用されましたが、やがて全く無視されることになりました。憲法29条の資産作りの為の街並み造りは、建築基準法第4章を完全に無視することで事実上放棄されました。これはスクラップアンドビルドによるGDP最優先の住宅政策によって、むしろ無視することを積極的に進めてきたのです。
フローとして流れているお金を税金や政治献金や、役人のOBの雇用や闇のお金(裏がね)に使うことで、役人や政治家は美味しい生活を゛役得゛として、不正を正当化して手に入れてきました。見つかれば知らぬ顔をして、連帯責任は無責任で通してきました。それができなくなった現在でも、詐取したお金でも返せば罪にはならないということで処理されてきました。
GDP本位の政策とは官僚機構と一緒になって、行財政資金の勝手な利用を可能にする方法でもあったわけです。住宅難世帯の解消に目途がついた1965年には、住宅政策自体が不要になるということを意味していました。それでは住宅行政官僚は不要になるということで、居住水準を、最低、平均、優良と3段階設けて、建替えを含む水準向上を政策に織り込んで、スクラップアンドビルド政策で、いつまでも需要を行政ででっち上げる政策を始めました。悪く言えば、官僚がエンドレスで行政需要を作ることで、自らの生存できる仕組みを作ったのが、住宅建設計画法の行政であったわけです。
(続く)
2006年6月住生活基本法が施行されて、新しい住宅政策が始まりました。何故、住生活基本法が必要になったのでしょうか。この法律の準備として、社会資本整備審議会が答申を出しています。その中で、何故これまでの住宅政策の基本となってきた住宅建設計画法が不要になったかということは書いてありません。住宅建設計画法による住宅政策は、居住水準の向上ということで国民に大きな成果を上げてきたと答申の中で評価しています。
本音は答申の中に書いてありません。本当のことは、住宅金融公庫、都市整備公団、地方公共団体という公共住宅事業主体が破綻して、公営住宅、公団住宅、公社住宅の供給を継続できなくなったということです。住宅建設計画法による住宅政策がよいか、悪いかと言う前に、これらの3制度自体が財政的に維持できなくなったということです。
この総括ができないために、過去の政策はよかったが、社会経済環境の変化に対応するため、政策転換が必要になったという総括になっているのです。一体、住宅建設計画法による政策の本音の評価は、どのようになっているのか、ということには、政府も住宅産業界も何も答えていません。
最も分りやすい評価は、日本の住宅を手にいれた人は、それによって家計支出の上で住宅以外の家計費支出を大きく圧迫されただけではなく、住宅を保有することによって、資産を失ってきました。日本全体で平均で年間3%の割合で、資産を失っています。アメリカでは、年間平均で6.5%で資産価値は高まっています。国民の住宅ローン負担も、所得の25%以下になっています。
日本全体で5000万戸の住宅があります。一戸2,000万円と仮定すると、全体で1,000兆円の住宅資産になります。日本では、毎年120万戸に住宅とリモデリングによって30兆円くらいの住宅投資がやられています。しかし、それと同額の住宅資産価値が毎年失われています。もしアメリカのような住宅建設がやられていたら、毎年65兆円以上の資産が増えることになります。その大きさは、国家の税収の1.5倍くらいになります。
国民が住宅を持つことによって、経済的には貧しくなっているだけではなく、平均26年ごとに建替えて、スクラップアンドビルドによるフローとしての住宅投資は大きくなっていますが、ストックとしての住宅資産は増大してはいません。政府は、GDPを最大にする経済政策を進めてきました。住宅を償却資産と扱う世界でも例を見ない不当な扱いによって、建替え事業を正当化してきた住宅政策が、住宅建設計画法による居住水準向上を目的とする住宅政策であったわけです。
住宅建設計画法(1966−2006)の前の、一世帯一住宅(住宅難世帯の解消)時代の住宅政策は、1950年GHQによる日本国憲法第25条(健康で文化的な生活)と第29条(財産権)の保証を、国民の住宅費負担と、住宅の資産価値増殖制度として提案されたものに基づいて実行する政策でした。GHQの提案はアメリカの1929年の世界恐恐に対して、アメリカが立ち直ったときの住宅政策の経験を日本に持ち込んだものでした。それは、主権者としての国民を救うことに重点を置いていました。
ニューデイル政策と呼ばれるケインズ経済学を世界で始めて実践したもので、TVA(テネシイバレーオーソリテイ)事業として日本では知られていますが、アメリカの経済では、住宅政策ということで知られています。FHAによって銀行の住宅ローンの担保であるモーゲージの債務負担を政府が行なうというものでした。この制度がその後のアメリカの住宅産業の隆盛の元になったとされています。
GHQは、その制度を住宅金融公庫の中心にしました。又、住宅の資産を増殖するシステムとしては、建築基準法第4章建築協定として、制度化されました。又、建築基準法ではモーゲージを前提にして、検査済証の交付を前提にして、使用許可とモーゲージの設定、保存登記をさせるという制度ができていました。1951年から始まった公営住宅制度では憲法25条に照らして、賃貸住宅の家賃負担は、家計支出の20%に収まるように、10坪の木造住宅の国庫補助金を除いた地方負担を6%の元利均等償還で計算したとき、償還期間を20年にする割きりを、新海悟郎の越冬住宅の研究成果から大蔵省がつまみぐいしたものでした。
家賃を同じ額にするためにコンクリートブロックに平屋と2階を、簡易耐火構造平屋建て、簡易耐火構造2階建てとして、それぞれ償還期間を35年と45年にし、鉄筋コンクリート造は70年にしました。いずれも支払い額の上限が最初に決められていたため償却期間で調整したのでした。最初は土地代も償却対象にしていました。何故なら、単に家賃を決めるための便法として焼却という考えを入れたためだったからです。
このように、日本の住宅政策は最初はGHQの指導にしたがって、主権在民の考えで取り組まれましたが、やがて経済成長によって所得が上昇したため、家計支出として支払うことが無理でも、やがて支払えることになるという安易なやり方で、物としての住宅を大きくすることでよい住宅を建設することの重点が置かれましたが、実際所得が上昇したため、矛盾が表に出ないで住宅政策を進めることができたわけです。
住宅公団については所得の25%の住宅費負担とするため、4.1%の特別金利が採用され、不足分は公団に対する政府の出資で補填することがやられました。住宅費負担については、初めは憲法25条の思想で運用されましたが、やがて全く無視されることになりました。憲法29条の資産作りの為の街並み造りは、建築基準法第4章を完全に無視することで事実上放棄されました。これはスクラップアンドビルドによるGDP最優先の住宅政策によって、むしろ無視することを積極的に進めてきたのです。
フローとして流れているお金を税金や政治献金や、役人のOBの雇用や闇のお金(裏がね)に使うことで、役人や政治家は美味しい生活を゛役得゛として、不正を正当化して手に入れてきました。見つかれば知らぬ顔をして、連帯責任は無責任で通してきました。それができなくなった現在でも、詐取したお金でも返せば罪にはならないということで処理されてきました。
GDP本位の政策とは官僚機構と一緒になって、行財政資金の勝手な利用を可能にする方法でもあったわけです。住宅難世帯の解消に目途がついた1965年には、住宅政策自体が不要になるということを意味していました。それでは住宅行政官僚は不要になるということで、居住水準を、最低、平均、優良と3段階設けて、建替えを含む水準向上を政策に織り込んで、スクラップアンドビルド政策で、いつまでも需要を行政ででっち上げる政策を始めました。悪く言えば、官僚がエンドレスで行政需要を作ることで、自らの生存できる仕組みを作ったのが、住宅建設計画法の行政であったわけです。
(続く)
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